昔何かのきっかけで知ったアンサイクロペディア。
Wikipedia のパロディー版、ジョーク版のようなものですが、以前は粛々とまるで本当のことのように書いてあったのが面白かったのですが、最近はふざけた感じが露わになっているので、ちょっとつまらなくなったな、と思っていました。
で、今日久々に本当にありそうな出来事を「真面目」書いてある記事を見つけたのでご紹介します。
鳩山元首相、イランへ亡命
昨日のイチローとダルビッシュの対決、
そうあれからテレビの見られない状態がずっと続いているので(ああ、もう1か月以上になる!)見れらなくて残念。
ダルビッシュは見事にイチローの洗礼を受けました、というより大リーグの洗礼を受けたのでしょう。
「これでいいのだ」、
と多分バカボンのパパは言ったでしょう。
ところで、アメリカの野球はまさにアメリカ、という感じです。黒人も白人もヒスパニア系の人もみないっしょくた。あの大リーグ、選手も観客も、この雰囲気ほどアメリカ的なものは無いと思います。
それでいて、ピッチャーと打者の駆け引きは侍の真剣勝負みたいなところがある。
その「間」というものがある。それがすごく魅力的で面白い。
それに比べるとサッカーは対照的ですね。
ずっと流動的に動き続けていて、私などは、ゴールが決まらない間に、ああ退屈!、などと思ってテレビを離れると、その後に点が入ったりする。そういうのがほとんどで、結局縁がないのでしょうね。サッカーファンだったら、お前みたいなのは最初から見るな、と言いたくなりますね、きっと(笑)。
話はそれましたが、
その見損なった番組をYoutubeで探していたら、こんな番組を見つけました。
川崎ってすごいね。
2階のWBCの試合の時も感動しましたが
(ああ、あれはドラマの連続だった!)
あの顔つきをみても、これほど空っぽの人はいない。
過去も未来も何も背負ってない。ただ今のみ、のような人ですね。
よく、なでしこジャパンとか、その他頑張ってるスポーツ選手などが私たちに元気を与えてくれる、と言いますが、私はあまり感じたことがなかったのです。でもこのビデオを見て、ちょっと感動してしまいました。
WHEN YOU GET INTO YOUR CAR,
after you close the door,
pause for a few seconds
and observe the flow of your breath.
Become aware of a silent
but powerful sense of presense.
車に乗ってドアを閉めたあと
2,3秒の時間を使って
自分の息の流れを観察してみよう
静かでいながら力強いその「存在」を観じてみよう。
他の方々にとっては全くつまらないことでも、私にとっては青天の霹靂とも言える出来事です。
先々週の土曜日にあの怪我をしてから、もう10日間もお酒を「自発的に」飲んでいないのです、あのお酒が好きな人が。
確かに5mmのガラスが鼻の中まで貫通する怪我でした。一週間ほどは見るも無残な姿で、人をびっくりさせては悪いと、人前に出ることは極力避けていました。でも、本人はけっこう元気だったのです。だから、4,5日したらお酒は飲むのだろう、覚悟していました。カゼ引いて熱を出して唸っていても、翌日にケロッと治れば直ちに飲み始めていた主人ですから。
ところが私が煩くいうまでもなく自分で飲むのを止めていたのでした。
日に日に腫れが引いていって、
「人間の体って凄いよね、自然にこうやって治してくれているんだもの..!」
と私もあらためて感動しました。
いつも、医者からもらった薬(血液をサラサラにする薬等)を飲んでいれば、酒飲んでても大丈夫だ、と豪語していた主人も、今回はその自分の中の治癒力を否応なく感じたのかもしれません。そんな一生懸命頑張っている体に対してあまり無謀なことはすべきではないと・・。
これはあくまで私の想像ですが。
主人はあの頃、たまたま深酒することが続いていて顔色も悪かったし、もしかしたらあの怪我会ったせいで肝硬変になる手前で防御出来たのかもしれないとおもいます。
先日
Every Crisis is a Blessing in disguise
という言葉のことを書きましたが、
あとになって、ああこれは日本で言う「災い転じて福となす」ということか、
と気付きました。
多分英語の言葉で読むとと新鮮に見えただけなのかな・・、と。
でもやっぱり少しニュアンスが違うのですよね。
確かに今回の怪我の事件に関しては、全く日本語の意味通りかもしれません。
しかし、それは辞書で調べてみると
「不幸な出来事があっても、機転 をきかせてそれにめげずに幸せを掴む事というような意味のことわざ」
ということでした。
つまり、災いを自分の努力によって逆に良い方向に転じる、という意味なのだと思います。
それに対して
Everyu Crisis is a blessing in disguise
というのは、直訳すると
「あらゆる危機は偽装された(姿を変えた)神の祝福である」
ということで、人間の意志や努力に関係なく、もともとそうである、ということなのですね。
今、ざっと本に目を通してみたのですが、この著者中村仁一さん、かなり愉快な方ですね。(笑)
・・・ですから、ほとんどの医者は、「自然死」を知りません。人間が自然に死んでいく姿を、みたことがありません。だから死ぬのにも医療の手助けが必要だなどと、言いだすのです。
「死」という自然の営みは、本来穏やかで安らかだったはずです。それを、医療が濃厚に関与することで、より日さんで、より非人間的なものに変貌させてしまったのです。